御木本幸吉生誕150周年記念式典in鳥羽

世界で初めて真珠の養殖に成功し、“真珠王” と呼ばれた御木本幸吉の
生誕150周年記念式典」が2008年11月7日に鳥羽市にて開催され、
OPENNINGにてパフォーマンス書道を披露いたしました。

御木本幸吉生誕150周年記念式典in鳥羽
▲KOHTEN 氏のバイオリン&chiekoさんのフルートのユニット
  「KC undulation」とのコラボ

幸吉の銅像と市民ら約800人が見守る中、
「世界中の女性の首を真珠でしめてごらんにいれます」と揮毫。
これは、明治38年の明治天皇拝謁の際の幸吉先生の名言です。

御木本幸吉生誕150周年記念式典in鳥羽
▲真珠に見立てた風船を参加者全員で空に放ち、偉業を偲びました。

この前に鳥羽少年探偵団が幸吉の生涯や人柄を紹介する朗読劇を披露したのですが、幸吉先生の語録を鳥羽の中学生が朗読していたのを舞台袖で聞いていて涙がポロリ。


苦境にあって何よりも幸吉の支えとなったのは、
留守がちな夫を助けて5人の子どもたちを育て、
家業のうどん屋を切り回す妻うめの温かい励まし。
しかし、やっと養殖に成功し事業が緒についた矢先に、
彼女は病で32才の短い生涯を閉じてしまったのです。

32歳。
私はまさに先月、この歳を迎えたばかりでした。

昭和4年秋、アメリカ合衆国ウィルソン前大統領のエディス夫人が来日し、
美しい真珠に感嘆した夫人が
「真珠は月のしずくの結晶と昔から言われていますね」
と言うと幸吉は、

「わたしのつくる真珠は人の涙の結晶です」

と答えたそうです。
その時幸吉の脳裏をよぎったのは、
この島で貝の中から養殖真珠を最初に発見した妻うめの姿だったそう。
真珠王を影で支えた妻うめの存在。
きっと、うめはこの日も空から幸吉先生を見守っていたことでしょうね。

こちらは笑えるエピソード。

「真珠は霊薬であると聞くが、本当か?」
と尋ねられたときには、
「そうでしょうとも、ことにご婦人の病気なら、真珠の首飾りでたちどころに治ります。
ヒステリーには一等の妙薬と存じます」
・・・とユーモアたっぷりに答え、
居合わせた婦人たちの喝采をあびたといいます(笑)

御木本幸吉生誕150周年記念式典in鳥羽
澄翔と鳥羽少年探偵団の9名の中学生が協力して、幸吉の語録を書きました。
1人1文字の合作、「日本中を公園にしたい」が完成!

御御木本幸吉生誕150周年記念式典in鳥羽

20代の頃、真珠を着こなすことができませんでしたが、
30歳を過ぎて、ようやく真珠を自然に身につけられるようになり
その魅力をかみしめていた矢先のお仕事。

幸吉語録を紙の上にしたため、
心に深く刻んだ一日となりました。

投稿者  女流書道家 矢部 澄翔