五丈原〜三国志ゆかりの地〜

五丈原

九成宮見学の後、孔明(蜀)VS仲達(魏)の最後の戦いの舞台、
五丈原に訪れました。
五丈原は、秦嶺山脈の北広がる東西1km南北5kmの台地です。
もっとも狭い場所の幅が五丈程度(約15m)しかなかったことから五丈原と名付けられたといわれたそう。

諸葛孔明

▲左 正殿前に建つ八掛亭  
  右 五丈原諸葛亮廟の正殿に安置された孔明像
    孔明像の傍らには武将像が並んでいた


■五丈原の戦いとは・・・
劉備から後事を託された諸葛孔明は、軍事力を誇る魏軍に対して、討伐軍を次々と繰り出してゆく。234年には漢中から険しい秦嶺山脈を貫く斜谷道をたどり、絶壁が取り囲む五丈原の狭い高台に10万人もの軍をもって布陣を敷く。だが、膠着状態が続き孔明は陣中に没したため退却する蜀軍。しかし仲達は罠があると思い込み、攻め込まずに引き返してしまう・・・。


五丈原夕日


54歳だった孔明の死の瞬間、陣営に赤い星が落ちたと言われている。
帰りぎわ、五丈原の夕日は切ないほど美しかったです。

投稿者  女流書道家 矢部 澄翔