秦始皇帝兵馬俑博物館

兵馬俑1
1974年に中国陝西省で発見されたと兵馬俑坑。
西安の北東36.5キロ、果てしなく続く麦畑の中にあるなだらかな丘こそが秦の始皇帝陵だ。
その陵墓から1.5キロはなれた西揚村で農夫が発見したといわれている。

秦の始皇帝といえば、中国で初めて天下統一を成し遂げ、郡県制を敷き、中央主権体制を確立する一方で万里の長城を建設、文字や通貨の統一をするなどの功績を残す一方で、儒教弾圧を目的とする焚書坑儒を行うなどの悪名もとどろかすなど絶大な権力を誇ったが、統一から11年後、病死をしてしまいます、49歳でした。


兵馬俑2亡骸は即位とともに着工していた陵墓の地下に葬られた。
2200年の時を経て、眠りから覚めた地下の大軍団、兵馬俑博物館を見学してきました。
兵馬傭とは、兵と馬をかたどった等身大の埴輪のようなもので墓の副埋葬品といわれています。

兵馬俑3
▲1号兵馬俑坑。

発掘当時は鮮やかに彩色されていたそうですが、発掘後空気に触れると風化して色が褪せてしまうため、1号兵馬俑坑の後ろの方は、発掘されたもののまた埋められてしまっていて、そのままになっていました。
とにかく広い!!迫力あり!怖いです・・・。


兵馬俑4
平均身長180センチあり、軍隊の強さを誇示するために実際の人間より大きく作られたとか。
驚くことに、一人ひとり顔が全く異なっています。
東西210m、南北62m。発掘が完了しているのは全体の1/5にすぎないそう。


兵馬俑5
▲司令部とみられる3号兵馬傭坑。

他の坑とは異なり、兵傭が向かい合って立つ。
動物の骨も出土していて、戦闘前に祭祀を行った場所との見方もある。
東西17.6m、南北21.4メートル。


兵馬俑6
▲青銅製の2号銅馬車。大きさは実物の1/2。

1980年、始皇帝陵の墳丘西側から銅馬車2両が出土しました。
霊柩車と推測され、総重量は1241k、全長3.17m、高さ1.06m、3562の部品からなり3780箇所の接合部分があります。

兵馬傭には謎がたくさん。
青銅器の武器に錆がないそうです。
現在電気メッキ法によって行われているクロムメッキが施されているが、当時どのようにして処理されたのか・・・。
馬の首輪の金と銀?(・・・だった気がします)でできていましたが、接合部品が見当たりません。金と銀の接合は現在不可能だとか。
造営には1日に70万人が動員されたというが、秘密を守るため建設に関わったものは皆生き埋めにされてしまったので、全くわからないわけです。

2000年以上も昔に、現在でもできないことが出来ていたなんて・・・
謎!とっても気になります!!

投稿者  女流書道家 矢部 澄翔